八万寿の由来
柴 八代志、渡辺万吉、久留島寿志。
ともに1948年、屋久島に生まれた屋久島高校の同級生です。
実は、八万寿という名前は、彼ら三人の名前から頭文字を一つずつとって組み合わせたものなのです。
八・万・寿の三人は、屋久島高校を卒業し、いずれも島外で5年ほど都会生活を 送った後、帰郷、再会します。
屋久島で何年かをすごす中で、夢と誇りをもち 三人が力を合わせて打ち込める素晴らしい仕事がないか、模索します。
そんな彼らの耳に、屋久島がお茶づくりに最適な土地であるという話が 入ってきました。
1985年5月、島外の茶業地の視察から帰った三人は、具体的な準備に取りかかります。
土地探し。資金づくり。技術の習得。三人は役割を分担し、力を合わせて 事に当たりました。
汗と涙の日々はすぎ、有限会社屋久島八万寿茶園を設立。
旧上屋久町長峰の地に12町歩の農地を取得します。
その間に磨かれた 茶の栽培技術、そして茶の文化を屋久島茶に注ぎ込み、どこにもない
本物のお茶をつくろうというのですから、並大抵の熱意と努力では実現できないことでしょう。
彼らの夢、屋久島茶が今や、少量 ながらも皆さまの口に届けられるに 至った理由には、
屋久島という大自然の力はやはり外せないものとなっています。
品よく手入れされた現在の八万寿の茶園は、10数年前には、原野でした。
開墾した畑の土は、踏めばフカッと吸い込まれるように柔らかく、たっぷりと水を含みます。
この地に植えられた苗木は大地にしっかりと根付き、勢いよく 元気に育ちます。
それは、山林や原野を深耕した、山の土が茶に木に適しており、
病気が来ないということもあるそうです。
何千年、何百年と屋久島の大地に根を張り、貴重な生態系を守り続ける 屋久杉。
その根が雨を貯めこみ、青々とした川の流れをつくり、海へ注ぎ 込みます。
天の水を受けた茶の木は、雑草や油粕などの自然肥料を栄養として 逞しく育ちます。
そして、茶園だけでなく、八・万・寿の三人にも、千年樹の森はゆったりとした時間と
清々しい空気を通 じて、焦らず、急がず、想いを形にする人として純粋な気持ちを
彼らに与えつづけているのです。
一客一亭とは、そもそも 茶事の催し方の一つで、始終差し向かいの、最も緊密な茶事をいいます。
昔から一客一亭を行うには、亭主も客人も道を極めた者で行われるとされて います。
八万寿は、八万寿のお茶を口にされる皆さま一人ひとりと心が伝わる
温かい関係を作りたいと思っています。
「屋久の御岳おろかにみるな、金の蔵よりゃなお宝」という歌が屋久島にはあります。
これは深い森が創りだす無限大の恵みに私たちが感謝していること を歌ったものです。
屋久島には、太古から変わらぬもの、ごくごく当たり前の ことを大切にする思想があります。
それは、八万寿も同じです。
微力ながらも 皆さまが環境世紀・21世紀を心豊かに、あふれる笑顔で過ごせるよう、八万寿はこれからも夢を追い続けます。
茶の木についた虫を食べる、虫がいて、その虫を食べる鳥がいて…。
完全なる食物連鎖が成り立つ屋久島から、安全で皆さんから喜んでいただける商品をお届けすることを八万寿は願ってやみません。